小説家村上春樹の猫に関する記述を追ってみる。彼の猫好きを検証する。
猫の名前
彼のエッセイの『村上朝日堂ジャーナル:うずまき猫の見つけかた』に猫の名前についての文章があります。こんな感じ。
1.どことなく当時の首相の大平正芳に雰囲気が似ていた猫に「マサヨシ」と名前をつけた。窓から、「おーい、マサヨシ!」と声をかけると、「うるせえな」という感じでマサヨシは面倒くさそうに、こっちを見上げたという。微笑ましいな。村上。
2.村上春樹はボストンに住んでいたときに、隣の家の猫に、本名の「モリス」ではなく、「コウタロウ」と名付けて、可愛がっていた。このコウタロウは後日姿が見えなくなったが、飼い主のジェームスが結婚して高級住宅に引っ越し、一緒に転居したのだった。死んでなくて良かったね。
3.村上春樹は、学生時代、三鷹のアパートに住んでいたときに、アルバイトの帰り、勝手についてきた茶色の虎猫がアパートに転がり込み意気投合して、長い間、一緒に生活することになった。名前をどうやってつけたかというと、ラジオの深夜番組のオールナイトニッポンを聴いていたら、リスナーの投書でピーターという猫がどこかにいなくなってすごくさびしいとあったので、その猫に、ピーターと名付けたのだという。この猫はナカナカの野生児でもあった。
村上ラヂオから
彼のエッセイ集の『村上ラヂオ』シリーズには、結構、猫のことが書かれています。
1.猫はお手をするか否かのことで、猫を擬人化して猫山さんと呼び、猫山さんはもっと凛として生きていて欲しいと。猫山さんは自由でクールな存在であるべきと主張している。猫山さんは全国の猫会議で腕組みして「ばーろー、何がお手だ。ふん。俺は犬じゃねえょ。ふざけんな!」と威勢のいい啖呵を切る猫山さんを夢想するほどに、村上春樹は猫に手を差し伸べるのである。猫山さんって、面白くないか。
2.その昔、表参道の交番のそばにうなぎ屋があり、そこの猫は、いつも、客席の座布団の上でひなたぼっこをしていたという。村上春樹は、昼に、その猫の隣でうなぎを食べるのが好きだったらしい。猫はうなぎには興味がなかったようだ。この昔に長らく村上が住んだあたりの青山には色々な店があったが、村上春樹がいちばん懐かしく思い出すのは、このうなぎ屋の熟睡している猫なのであった。ただ、それだけの話だけど。猫愛高し。
海辺のカフカ
猫をフューチャーする
パラレルな2つのシーンの不思議な主人公は、『ナカタさん』。
猫と会話ができる老人であります。字も読めない天蓋孤独な老人ですが極めて良い味を出しています。これは、もしかしたら、知識偏重主義に対するアンチテーゼかもしれないね。
唯一の仕事は、迷子の猫を探すこと。今日も迷子のゴマちゃんを探して、猫達に聞いて歩いている。オオツカさん、ゴマ、カワムラさん、ミミ、オオカワさん、トロといった猫たちも出てきて、猫なしには語れないストーリーになっています。
ただし、恐ろしい「猫殺し」であるジョニーウォーカーが出てきますので、猫愛護家の人達はこれを物語として受け入れなければ読むとキツイかもしれません。
しかし、村上春樹の猫への愛所は強く感じられる作品です。
それに、猫のいる場所は、なんてたって、わが野方だからね。
ペーパーバック
猫を棄てる
2019年(令和元年)5月10日発売の文藝春秋6月号に突然、村上春樹の『猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること』が掲載されました。
村上春樹が小学生の夏に、海辺へ猫を棄てに行った。西宮市の夙川の家から、父親の漕ぐ自転車の後ろに乗り、村上少年は猫を入れた箱を持って、香櫨園の海岸まで行った。そこで防風林に猫を入れた箱を置いて、また自転車で家まで帰ってきた。しかし家について玄関の扉を開けると、いま棄ててきたはずの猫がいて、鳴き声と共に出迎えられた。
「父の呆然とした顔が印象的だった」と書かれています。
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