不祥事:拒絶と許容
前回、と言っても、去年の5月初めころに、次のような伊藤健太郎に対する記事を書いたら、サポートするファンの方々からは賛成の意見も頂きましたが、彼を俳優として元居た場所に戻すべきではないとの厳しい意見も頂きました。ひき逃げという刑事事件(に匹敵する)の犯罪者(実際には不起訴処分になっている)を簡単に許すべきではないとのことでした。
そして、その後も、彼の周辺には、大きなバッシングがあったと思います。私は、それに関して、次のようにコメントもしました。
こんな彼の復帰初戦に関しても、いつもの二項対立構造が頭の中に浮かんでくるのであった。断罪することと許すこと。拒絶と許容。果たして、伊藤健太郎という役者はこのように事件が不起訴で終わった後でも、観る側として切り捨てるべき人物なのか?そこまで、芸能人以前に、人として本当に駄目なのか?
出典:伊藤健太郎研究その19:復帰初戦・拒絶と許容(私のこのブログ記事)
次の点は押さえておいても良いのではないかと思っている。少なくとも、この事件が起こる前の彼の役者としてのレベルは決して低くはなかったと思っている。むしろ、新しい若手の期待できる俳優を見つけた感じではあったのだ。ここまでバッシングされ周りの人々からすると受け入れるのが難しいような針の筵状態ではあるが、個人的には、やはり、頑張って俳優を続けていってほしい存在と感じている。またしても、自分は甘いのだろうか。
出典:伊藤健太郎研究その19:復帰初戦・拒絶と許容(私のこのブログ記事)
当時の1年前、このような主張はあまり通るような世界ではありませんでした。一部のファンやサポートする人達を除いて、マスコミも世間も、伊藤健太郎氏を排除する方向に流れていたような感じでした。
人っていうのは、どうして、こうも、簡単に、ヒトをシイタゲルことが出来るんだろうかね。そこまで、彼は不遜だったのだろうか?自分に直接関係がなければ、言いたい放題言うのはSNSの世界では当然のことなのだろうか?そして、マスコミも、その風潮というか流れに乗っていれば良いのか?
あの時も思ったんだけど、伊藤健太郎の出演した映画やドラマをしっかりもう一度観てから発言した人がどれだけいたんだろうかなって。決して、埋もれて良い役者じゃないよって判るはずなんだけど。でも、世間というかマスコミはそういう流れにはならない感じだったね。
復帰第一作:冬薔薇(ふゆそうび)
感謝
だけど、漸く、戻ってきたね。それも、この映画で。
これこそ、伊藤健太郎のそのままの心情を綴ったような主人公として。
阪本順治監督や共演の役者や製作スタッフに感謝したい。淡々と、そして、心の叫びを胸に秘めて描かれている。また、多くの彼を信じたファンの応援に感謝したい。彼を映画の世界に戻してくれたことに。
こういうカタチでの映画の世界へのカムバック。この役しかなかったんだろうなって気がするね。阪本順治監督の振り返った自分の人生が、あの事故から今までの伊藤健太郎の揺れ動いた心情とコラボレーションしている。なので、最高のタッグマッチとなっているし、監督は何も語らないが、映画の中に伊藤健太郎へのオマージュを出したのだ。君にはここしかないと。
映画公式サイト
ちょっとした感想
ヤンチャでどこか翳りのある役を演じさせたら、やっぱり、伊藤健太郎だろうな。言葉は悪いが、あの事故の経験から更に多分その心境を深めたに違いないと良い意味で思っている。
多くの脇役有名俳優が、伊藤健太郎を支えたな。ジジイとオバサンとオヤジが伊藤健太郎を引き立てる。余貴美子の母親役も良かった。小林薫のオヤジ役は言うまでもなく。上手い。
伊藤健太郎も、小林薫以上に、石橋蓮司に興味を持ったという。阪本順治監督の叔父さんの役である。
人は人によって支えられ人生を生きている。そういう、群集劇と言った方が良いかもしれない。映画を観て思うのだが、伊藤健太郎をこの脇役俳優達が一生懸命に支えてくれて成り立っているという、二重な意味での映画と伊藤健太郎の人生スパイラルムービーになっているので、必見であります。
伊藤健太郎を拒絶した人達に是非観てもらいたいと切に思います。人間には、次に向かうチャンスがありますよね。
そういうことで、ナカナカのヒューマンドラマですね。
Youtube
予告編
完成披露上映会:感極まる
冬薔薇サウンドトラック
冬薔薇 (Original Soundtrack)
映画パンフレット
【映画パンフレット】冬薔薇(ふゆそうび)監督 阪本順治 キャスト 伊藤健太郎, 小林薫, 余貴美子, 眞木蔵人, 永山絢斗, 毎熊克哉
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