東野圭吾小説
東野圭吾による小説は、1995年2月、中央公論社より単行本が、1998年03月に講談社文庫版が発売。そして、ベストセラーになっている。ということなので、この映画はなんと、25年も経って作成された映画なのだ。四半世紀が既に経過しているのだよ。驚きです。良きに解釈すれば、昔は映像が難しかったということでしょうか?
パラレルワールド
この映画はというか、原作の小説も含めて、何故、パラレルワールドなのでしょうか?
確かに、別の世界であるかのような状態になっていますが、今、アメリカドラマで言うところの別次元空間における「パラレルワールド」ではなく、脳内における世界設定の相違という図式であるので、厳密には、これはパラレルワールドではないような気もします。
しかし、脳に刺激を与えて別の記憶を作るという発想は面白いので、それはそれで、さすが、東野圭吾、理系的分野のニッチな、しかし、衝撃的な分野を攻めてくるねぇという感じですね。
そこを中心に見ていくと、この映画、面白い出来ではないでしょうか?
周りがそれほど言う世界ではないと私は思います。
脳内デジタル化
上でも述べましたが、脳内への刺激化研究は、現実の世界でもそれなりに進んでいるようなので、注目の分野です。
記憶の書き換えの映画だけど。記憶の書き換えという言葉自体が既にデジタル化したものですね。
だから、最後に出てくる「スリープ」状態を解除するデータも当然ファイル化されてという感じで、そこは、ジョニー・デップの「トランセンデンス」とか攻殻機動隊とかの世界と同じで、かなり、今後、現実化しそうで、面白いし、コワい。です。正直。
ここに関しては、このブログの中にも、「人間の電脳化・デジタル化」という記事を私は書いています。どうにも注目がいってしまうところなので。
人間の電脳化計画。恐ろしいけど、気になりますね。脳と義体についても。いくつかのブログで、その現実化研究の一端が書かれています。
吉岡里帆
この映画、結局は、吉岡里帆演ずる津野麻由子を研究者である玉森裕太と染谷将太が愛するという三角関係を描いたものなんですよね。
そこに、記憶の書き換えというパラレルワールド的なものが乗っかってくるというですかね。
なので、吉岡里帆さんの演技がどうしても戸惑いがちの表情を見せなくてはならないものになって、残念と言うか、あれはあれでよいかとかになりますが、モッタイないっすね。
吉岡里帆。もっと演技できるはずなのに。でも、かなり、エチでしたよね。それだけでも、十分でした。◎。
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