種田山頭火のどこが小松菜奈とリンクする?
小松菜奈の俺の投稿部分を改変していたら、何故か、種田山頭火に行きついてしまった。
なんだ、この異空間の二人の邂逅は。俺自身が驚くのであった。なんじゃ、こりゃー。
ミステリアスな小松菜奈とドンくさいような放浪詩人の種田山頭火に共通点でもあんのか?
いやあ、普通ないだろう。山頭火のきれいな句は知っておらえれるかな、皆の衆。例えば、
あざみあざやかにあさのあめあがり
明るい可憐な句と金子兜太も言う。可憐なのだ。更にはこんな句まである。
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
実は。ということで、種田山頭火の句の一部は小松菜奈とリンキングするのだ。無理やりかもしれないが、小松菜奈は、
菜の花咲いた旅人として
厳然と規律正しく存在するのであった。
山頭火はハードボイルドである
其中一人として炎天
種田山頭火は一人であった。そして、孤独であった。
旅を続ける中で、心に染み入る句を多く作る。
しかし、彼は放浪の中に安寧を求めた。
旅の中で、時として、庵を結び、そこに住み着いた。
この句も、そのような時の歌だ。
其中は山頭火が名付けた庵の名だ。
一人でそこに居することでようやく安心を感じた折の句であろう。
山頭火は風であり火であり土であり夢である
草もわたしも日の落ちるまへのしづかさ
レーゾンデートル。
存在の不確かさから確かさへ。
山頭火は、夕暮れに向かう中、あらゆる欲から離れ無に至ろうとする。
その状態こそが「空」なのだ。
そのしづかさの中に一人身を置く山頭火なのだ。
孤独という静けさ
小松菜奈と種田山頭火を無理やりくっつけた感じがする。
しかし、小松菜奈の存在は、種田山頭火の句と実に良く合う。
そこにある共通点は、孤独さであろう。きっと。
かたや、放浪の中で、自然の中で、正直な気持ちを吐露する孤独さ。
かたや、煌びやかな世界にいるのに、孤独が顔にいつもある美少女。
そこにあるのは、孤独に裏打ちされた静けさかもしれない。
うーん、哲学的かな??
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