かつて、俺のブログの中で、上田岳弘の芥川賞作品の『ニムロッド』について、褒めたことがある。仮想通貨のマイニングに関する現代の社会を反映した小説であったが、なかなか引き込まれる内容だった。
その彼の小説がやはり、面白い。今までになかった切り口なのである。
SF小説なのか現代純文学なのか
この人の小説については、どうしても読んでいると感じてくるのが、SF的な小説の感じなのである。そこが現代の混迷するような状況とマッチして面白いのである。今回紹介するところの小説『塔と重力』においても、それは厳然と突っ込んでくるのだ。近未来があるような設定を。
17歳の冬、僕らが眠るホテルは倒壊した。あの地震さえなければ、初体験の相手は美希子になるはずだった……。生き埋めからひとり生還した僕は20年後、Facebookを通じて大学の旧友と再会。彼女の記憶を抱えて生きる僕に彼が持ちかけた「あること」とは。繰り返される自然災害とテロ、21世紀の人類の苦悩の先に待つ希望。
塔と重力作品の説明
カスタマーレビューに、端的に、上田岳弘のこの作品を言い当てている文章がある。
中東のテロリストからアメリカの大統領までもがツイッターを駆使する時代ともなれば、SNSはすでに現実を凌駕している。
だから水上は「美希子アサイン」と称して、20年前に阪神・淡路大震災で死んだはずの美希子を次々と田辺にアサイン(割当て)する。SNSが現実を凌駕している以上、全ての人間は代替可能で、しかも世界には35億の女がいるのだから、たとえ死んでいようと美希子は存在する、という水上の「神ポジション」からの理屈を田辺も受け入れざるを得ず、何番目かの「美希子アサイン」を美希子として承認する。Facebookで友だち申請を承認するかのように。
しかし水上も田辺も完全にSNSの支配下にあるわけではないらしい。水上は「商業出版の限界を超えた小説」をFBにアップし続け、世界中で行われるリツイートを体内に溜め込んでサルトルのように嘔吐を繰り返し、田辺は涙腺を崩壊させてセックスに明け暮れる。SNSに付きまとう虚無感に拒絶反応を起こしながらも、その苦しみを表明することはせず、わずかに日常を押し出すことで2人は自分を保とうとする。どんどん高く伸びる塔と重力とがせめぎ合うように。
設定は松田聖子の「スタッキング可能」を類推させるし、頻繁なセックスシーンと文体は村上春樹を思わせる。「十五年。ちょっとした時間だ。」(P16)みたいな。けれどもこの著者にしては物語性が強く面白く読めた。
表題作と共鳴する2編のうちの「重力のない世界」では、「個人」が廃止され「肉の海」の中の座標として演算された人生を生きる家族が描かれる。「双塔」の作風は三島賞を受けた「私の恋人」に近く、時空を超えてRejected(拒絶)された人々を描く。どちらも観念的な作品ではあるけれども、言語以前、あるいは、言語の外にあるかもしれない世界の可能性について書こうとしている。
カスタマーレビュー
時空を超える小説は可能か
上記の素晴らしい感想であるコメントのカスタマーレビューの最後のところにも書かれているが、上田岳弘は多分時空を超えたところにある小説群を目指しているのだろう。SF的要素のある部分と現代の実生活部分の融合というストーリーを破綻なく、1つの小説の内容の中に組み込んでいくのである。特に、この小説の中に収められている「重力のない世界」と「双塔」の短編2作品には、それが著しい。村上春樹のような小説の中に、寓話のような仮想現実世界と現実世界の2局面を持ち出し話を進めることで、その言いたいところを伝えていきたいとする世界の上を行く小説なのではないかとも思える。彼の才能はとても凄いと思うのである。そして、面白いのである。
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