村上春樹の小説を読み込むと、人生の教訓となるような文章・言葉に出会う。そのあたりを描き出してみたい。ハードボイルドな何かとスタイリッシュなスタンスを自分の中に見出せるかもしれない。アメリカの探偵小説から得たような言葉の紡ぎ方がクールと言われる由縁だ。さらりとしているが、意外と情もある。言葉というのは使い方によって、俺達の人生を決めかねない恐ろしいツールだ。彼の言葉の中にある哲学を知ってみよう。
幾つかのテーマに分けると、村上春樹の小説のテキストが判るし、骨格が理解できる。そして、人生の教訓にすることができるかもしれない。
村上春樹の風景
村上春樹の小説における景色を幾つか探してみた。風が一番出てくる印象がある。風景描写が当然ながら主人公の心を反映させている。
風は村上春樹の中では、中心的な言葉だ。何と言っても、「風の歌を聞け」という小説の題にしているくらいだ。風は彼の中では、多分、心象風景なのであろう。単純な景色の一部ではない。常に、登場人物の心を表しているのだ。火も同じように景色の一部として大事なアイテムだ。風も火は自由の象徴的なところがある。
【めくらやなぎと眠る女】P.20(ニューヨーク発24の短編コレクション)
眼を閉じると、風の匂いがした。果実のようなふくらみを持った五月の風だ。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子の粒だちがあった。果肉が空中で砕けると、種子は柔らかな散弾となって、僕の裸の腕にのめりこんだ。微かな痛みだけがあとに残った。
【アイロンのある風景】(P.57:神の子供たちはみな踊る)
順子は焚火の前ではいつも寡黙になった。ときどき姿勢を変えるほかは、ほとんど身動きしなかった。そこにある炎は、あらゆるものを黙々と受け入れ、呑みこみ、赦していくみたいに見えた。本当の家族というのはきっとこういうものなのだろうと順子は思った。
「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。順ちゃんが火を見ててひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。そういうの、わかる?」
村上春樹の孤独
彼の小説の主人公には孤独が付き纏う。ハードボイルドな主人公達は、しかしながら、孤独であっても、落ち込むことはない。それが自分にあっているからだ。孤独をむしろ愛している。自分を持っているから、人に媚びることは全くない。そして、とても、孤独が自然体だ。
【1Q84】P.27(Book1 4月-6月 前編)
「現実はいつだってひとつしかありません」、書物の大事な一節にアンダーラインを引くように、運転手はゆっくりと繰り返した。
「もちろん」と青豆は言った。そのとおりだ。ひとつの物体は、ひとつの時間に、ひとつの場所ににしかいられない。アインシュタインが証明した。現実とはどこまでも冷徹であり、どこまでも孤独なものだ。
トニー滝谷
村上春樹のクール
村上春樹の小説で一貫して流れているのは「クール」さだ。アメリカ小説、特に、ハードボイルド小説に傾倒した彼には、クールを決め込むことが必然だった。
【風の歌を聴け】P.87(村上春樹全作品1979-1989①)
かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。
高校の終り頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由を忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分の思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。
それがクールさとどう関係しているのか僕にはわからない。しかし年中霜取りをしなければならない古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だってそうだ。
村上春樹の友達
数少ない友達。しかし、忘れることの出来ない友達。彼は、その人達を大事に想う。村上春樹の小説に出てくる友達という関係にあると思える人物達は善良である。世間的に見ると一風変わっていても、お人好しな程に、優しい。そういう感じがする。
【1973年のピンボール】P.222(村上春樹全作品1979-1989①)
そしてジェイ・・・・・・。
何故彼の存在がこんなに自分の心を乱すのか鼠にはわからない。俺は街を出るよ、元気でね、それで済むはずのことだった。お互いに相手のことを何ひとつ知っているわけじゃない。見知らぬ他人が巡り合い、そしてすれ違う、それだけのことだった。それでも鼠の心は痛んだ。ベッドに仰向けになり、固く結んだ拳を何度か空中に振り出してみる。
村上春樹のルール
ルールがやけに多い。俺たちの人生はルールを持つことで、かなり、もしかしたら、それとも何とか、シャンとすることが出来るかもしてれない。そんな気持ちにさせる言葉があるような気がする。
【偶然の旅人:東京奇譚集】P.367
「しかし、どうしたらいいのかわからなくなってしまったとき、僕はいつもあるルールにしがみつくことにしているんです」
「ルール?」
「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです。壁に突きあたったときにはいつもそのルールに従ってきたし、長い目で見ればそれが良い結果を生んだと思う。そのときはきつかったとしてもね」
村上春樹の優しさ
もの凄い優しさに触れる時がある。決まって、主人公がどうしようもない状況に陥っている時だ。だからこそ、それがハードボイルドの神髄だろう。レイモンド・チャンドラーがフィリップ・マーロウに言わせた名言を貴方も思い出すだろう。
タフでな ければ、生きていけない。優しくなければ、生きてる資格がないと確か小説「プレイバック」で言わせている。それに相通ずるところが随所にある。そうなのだ。タフの裏返しが優しさなのだ。優しさの裏返しがタブなのだ。
【スプートニクの恋人】P.80
すみれは10秒か15秒のあいだ黙っていた。「それは慰めとか、ただの励ましとか、そういうじゃなくて?」
「慰めとか励ましとかじゃなくて、まっすぐな力強い事実だ」
「モルダウ河みたいに?」
「モルダウ河みたいに」
「ありがとう」とすみれは言った。
「どういたしまして」とぼくは言った。
「あなたってときどきものすごくやさしくなれるのね。クリスマスと夏休みに生まれたての子犬が一緒になったように」
村上春樹の認識
村上春樹は結構、周りの認識に関して、意見を述べている。そして、周り=世界と自分とのギャップ問題を大きなテーマとして位置付けている。忘れてはならない視点だ。
【スプートニクの恋人】P.201~P.202
まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことなら良く知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、私たちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。
理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。
それが(ここだけの話だけれど)わたしのささやかな世界認識の方法である。
村上春樹の食事と飲み
誰もが指摘する話であるが、食事や飲みに関しては、料理・飲み物を作ることが仕事であったこともあり、かなりの注意を払っている。そこから、何を見つけるか、面白い。
【スパゲティ―の年に】P.262
ポイントやマイルが2倍貯まる【ぐるなび】永遠に茹でられることなく終わった一束のスパゲティーについて考えることは悲しい。
村上春樹の真実と嘘
自分の人生のことを振り返ることでもある。
【風の歌を聴け】P.100(村上春樹全作品1979-1989①)
僕は時折嘘をつく。最後に嘘をついたのは去年のことだ。
嘘をつくのはひどく嫌なことだ。嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪と言ってもよい。実際僕たちはよく嘘をつき、しょっちゅう黙り込んでしまう。
しかし、もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値など失くなってしまうのかもしれない。
村上春樹の生きること
難しいことかもしれないが、彼は言う。かなり、寂しくなることだが、何かが失われても、人は生きていくしかないと。
【スプートニクの恋人】P.313
ぼくらはこうしてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。どれだけ深く致命的に失われていても、どれほど大事なものをこの手から簒奪されていても、あるいは外側の一枚の皮膚だけを残して全くちがった人間に変わり果ててしまっていても、ぼくらはこのように黙々と生を送っていくことができるのだ。手をのばして定められた量の時間をたぐり寄せ、そのままうしろに送っていくことができる。日常的な反復作業としてー場合によってはとても手際良く。そう考えるとぼくはひどくうつろな気持ちになった。
【騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編】P.340
【神楽坂 ル コキヤージュ 絶対スベらない鉄板ギフト!テリーヌ ドゥ ショコラ】人には知らないでいた方がいいこともあるだろう、と天田は言った。そうかもしれない。人には聞かないでいた方がいいこともあるのだろう。しかし人は永遠にそれを聞かないままでいるわけにはいかない。時が来れば、たとえ両方の耳を塞いでいたところで、音は空気を震わせ人の心に食い込んでくる。それを防ぐことはできない。もしそれが嫌なら真空の世界に行くしかない。
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