めぞん一刻を語る⑯:色々迷走する五代君に見る男の魅力?

めぞん一刻

どんな小説でも映画でも漫画でも現実世界でも、そこには当然のことながら、主人公が存在するのである。こんなブログを書いている私は、私で、そのブログでは主人公である。主人公がいるから、どんな物語世界も動くのである。迷走する名作とも言える永遠屈指の漫画である『めぞん一刻』も、W主人公である響子さんと五代君がいるからこそ、迷走に迷走する素晴らしい青春漫画となっているのである。今回は、この漫画における五代君の迷走的な動きを中心に、彼という人物の個性について、考察してみたのでした。それは、ある意味、人間の魅力って何だろうということにも繋がるのですが。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

近頃のある特集記事で「住んでみたい漫画での家」で第2位に輝いたらしい「一刻館」という場所が、当たり前だが、題名通り、この漫画の一番重要なステージとなっている。

その一刻館の住人たちの五代君への愛あるイジリに耐えられなくて、ここを出ようとした玄関先で、管理人さんとなる響子さんに出逢い、話が始まるのです。最初に登場した響子さんは、全く別人のように色っぽかったのです。それも大人の雰囲気満載で。それもカラーで。あの昭和の時代に。一刻館の入り口の前で一目惚れした五代君が、簡単に、家出(?)をさっさとやめるのです。いとも簡単に。

かように、五代君は漫画初出の最初の場面から、五代君の能天気な単純さと思い込みの明るい一途さが、発揮されるのです。そう、五代君は、とても真面目で真直ぐで一途な男なのである。裏がないと言えば、それだけなのでもあるが。五代君のこのような性格がこの漫画、最後まで続くのであるが、それこそが、響子さんとの掛け合いの中で、面白さを増幅させるのである。五代君の性格と言うか人柄をこのように設定した作者の高橋留美子先生の異才に驚くのである。

ヒットする漫画作品の一番の要因は主人公である登場人物のキャラ作りにかなり依存する。五代裕作というこのような男の子の設定は、底の浅い性格と思われるであろうが、実は、これからみていくけど、とても憎らしいほど、魅力に富んだ欠陥の多いけど憎めないキャラ存在なのである。

高橋留美子先生は、当時、誰をモデルにしたんだろうかな?誰を意識して、五代君を作ったんだろうか?とても、気になるところですね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そして、一生懸命に、夜ごと開かれる一刻館の問題住人たちの酒宴に抵抗しながら勉強をしようとするが、最後は、結局もって、その宴に呑みこまれてしまう人の良さが五代君のルーティンなのだ。そして、翌日に深く反省をする。断れない男、五代裕作。優柔不断な男、五代裕作。真面目で真直ぐだが、直ぐに折れてしまう五代君。弱みを握られっぱなしの五代君。

ここが、実は、読者が喜ぶところでもあるのだ。イイ奴だけど、ダメなヤツ。これも、五代君のキイワード。僕らは、こういう性格の男を結構愛すべきヤツとして、笑いながら、見守ってしまう。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

結局、一緒になって、遊んでしまう五代君。

そして、間の悪さやタイミングの悪さは、一級品の五代君。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

八神に何故か良い先生と想い込まれ一方的に好かれながらも、この決定的なタイミングの悪さ。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

タイミングの悪さが笑えるも、男の悲哀も感じさせてくれる五代君。寒いよね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そして、ここぞという時に、間に合わない五代君。どれだけ、決定機を逃し続けてきたか。一途な五代君の気持ちが何ども成就しないからこそ、僕らは、彼に次は頑張れと応援したくなってくるのだ。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

ここぞという時に、かなり、ビビってしまう五代君。色々な他のことが錯綜して約束を守れないこともあるのに、厳しく追及されると上手く説明できない五代君。この弱っち―ところも、五代君の何とも言えないある意味素敵な局面なのである。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

弱っち―、けど、とても、心優しい五代君。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そんなビビりーな弱っち―な五代君は、時として、胸に溜まった想いを大きく吐き出すのである。このギャップも魅力なのである。弱いけど、想い込んだら、その想いは決して、心の中から消えることはないのだ。常に胸の中にある。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そんな五代君は、どんな人に対しても、優しい。だが、それがために、迷走し迷想する五代君。思いやりのある優しい男と女性にいつも思われる五代君。決定的なことを言えない弱さか、優柔不断さか、いい加減さか、欠点が多くあるような感じなのだが、何故か、女性陣は、そこに魅力を感じるというか、気になってしまうのである。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

これって、何なんだろうね。母性本能をくすぐるのか、五代。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

少年の心はどこかにいつも持っている五代君。子供好きな五代君。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

争いごとや競争は好まない五代君。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

色々と欠点ばかり目に付くのに、目から話すことのできない五代君。どうも、モテる男は、そういうところも含めて、女性に「バカ」と良い意味で思われるくらいが、ちょうど良いのかもしれない。隙があり駄目なところが多いけど、とても一途・真面目・思いやりがあり優しい。だから、バカって言いたくなってしまう。そう思わせたら、勝ちなのかもしれないね。五代君。本人は理解していないかもしれないけど。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

だけど、こんなバカで心配な弱っち―負の部分の多い五代君でも、最後は、響子さんの思っている気持ちの深いところまでたどり着き、響子さんのためにどういうスタンスで自分がいれば良いかの最善の意思決定が出来る男として振る舞った。

五代君は逃げなかったのである。五代君は、常に、ありのままの自分でいた。素のままのカッコ悪い自分でいた。そして、ありのままの自分でいたからこそ、このような素晴らしい気持ちに辿り着いたのかもしれない。弱いけど、強かったのである。強くなったのかもしれない。ありのままの自分でいることは素であるからこそ、相手の素の心をキャッチアップ出来るのかもしれない。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

人間の世界とは、かくも、面白い。『めぞん一刻』という名作漫画の中にも、人の素晴らしさを教えてくれる。五代君一人を取り上げてみても、そこには、興味深い「人という生きもの」の有り様を教えてくれる。人間の魅力とは何か?普通に周りにいそうな五代君の持っている個性は僕等にとても近いものかもしれない。五代君は、僕らの近くにいる。とても親近感が湧く。だが、欠点ばかり目に付くし弱っち―迷走人間が、誰に対しても優しく思いやりがあり同じ目線で物事を考えられ、ありのままの素で常にあるということはナカナカ出来ることではない。それをやってのけたのは、やはり、五代君が良い意味でのバカであったからなのだろう。ということで、五代君はバカだったという結論になりました(?)が、私自身、意外な結末に、とても温かさを感じている次第です。五代君、好きだぜ。

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