面白い小説を読んだ。
平野啓一郎の『空白を満たしなさい』だ。
何故、面白いかと言えば、ストーリーが荒唐無稽であるからとも言えるし、その荒唐無稽な話の向こうに、生と死についての哲学的な永遠の問題についてマジに立ち向かっているところとも言えるし。
加えて。
平野啓一郎は、この小説において、初めての論理というか哲学というか、私とは何かに関して、『分人』という新しい概念を提起してきたことが、とても、とても、インパクトがあるんだよね。
ストーリー的には、次のような感じなんだけどね。
ある夜、勤務先の会議室で目醒めた土屋徹生は、帰宅後、妻から「あなたは3年前に死んだはず」と告げられる。死因は「自殺」。家族はそのため心に深い傷を負っていた。しかし、息子が生まれ、仕事も順調だった当時、自殺する理由などない徹生は、殺されたのではと疑う。そして浮かび上がる犯人の記憶……。
出典:講談社文庫『空白を満たしなさい』上巻
全国で生き返る「復生者」たち。その集会に参加した徹生は、自らの死についての衝撃的な真相を知る。すべての謎が解き明かされ、ようやく家族に訪れた幸福。しかし、彼にはやり残したことがあった……。生と死の狭間で「自分とは何か?」という根源的な問いを追究し、「分人」という思想が結実する感動長編。
出典:講談社文庫『空白を満たしなさい』下巻
まあ、今までになかったような発想転換型の小説なんだろうね。だって、死んで数年経って生きて(蘇って)戻ってきて、そして、普通に生活を家族と送るというストーリーだから、今まで、そんなのなかったよね。幽霊小説ではないカタチの文学作品なのだからね。
その上で、自分は、どうして死んでしまったのか、突然蘇ってきて、その理由を探ろうとするミステリー的サスペンス風的小説なんだからね。
だから、なんだろうけど、自分が死んで蘇ってそしてまた死んでいくという流れの中で、関係する家族と職場の同僚や上司にどういう影響が起き、その人々との愛情や人間関係がどうなっていくのかがクローズアップされてくるんだよね。
なので、一度は甦えり再び死んでいくという世界で、トコトン、生って何だろうか?死って何だろうか?を考えさせてくれる小説なんだろうな。
そして、だ。ここで、一番大事なのが、分人なんだね。
そう、私とは何か?っていう超古典的な論点に対する一種の回答だね。
平野啓一郎は言うんだよね。
本当の自分はひとつじゃない!個人が整数だとすれば、分人は分数のイメージ。付き合う相手が変わって構成比率も変わってくる。
自分という個人は、家族との関係での分人・友人との関係での分人・会社の中での分人・敵対する人との関係での分人、等々の多くの分人の集合体なのである。
そう考えれば、自分の中の色々な思いや欲望や悪や善についての考えについても、それぞれの文人の中の自分という個性のカタチによって、見えてくるのであるし、問題が起きた時にも対処がしやすくなってくるかもしれないのである。
本当の自分は複数いて、良い面を持った自分もいるし、悪い面を持った自分だっているんだよ。
場面ごとに、私は、それぞれ、いるんだよ。
この辺りについては、平野啓一郎の『私とは何か』を読むことをお薦めする。
嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観!
内容紹介
分人主義で自分を個人を理解して対処していくことが、この多様化の今の世界、大事なことかもしれないですね。
コメント
Great article!