ツキのない時に巡り合った映画
天気も悪いし、スマホは突然バッテリーが切れるようになって使えない。大変な1日となった。新しいスマホを購入したが、画像が悪くて、かなりショック。充電能力は高いとと言われたが、そうでもない。これぞ、選択ミスかぁぁぁ!?近頃のツキのなさは半端ではない。これは、本当に神社にお参りに行った方が良いのかもしれないな。
そんなこんなで、何故か、ダコタ・ファニングのロード・ムービー、「500ページの夢の束」を観る。
心温まりそうではないかと、勝手に、ビデオ屋でエイやと選んだ作品であったのだ。かなり、精神的に疲れていたから、実は、何でも良かったのだ。
B級映画に当たりあり
意外や意外、この多分の低予算映画というかB級系映画は質の高い映画であったのだった。自閉症の主人公人はウェンディは「スター・トレック」マニア。
自閉症であるが故に、人と上手に接することが出来ない彼女が、一人で、というか犬ちゃんも連れてだが、脚本コンテストのためにロサンゼルスまでの旅に出るわけだ。
「スター・トレック」というフィクションの中にしか信じるものがない彼女が脚本を作ることで勇気を持って進み続ける。
物語という虚構が彼女に力を与えているのだ。周りの登場人物たちが「スタートレック」を愛しているが故のサポートもある。例えば、グループホームの長であろうスコッティが息子とウェンディを自動車で探しに行く時の会話で、「何故、スター・トレックに惹かれるのだ?」と母が息子に質問すると、息子は「登場人物だろうな。スポックは人間と異星人のハーフで感情に手を焼いている」と答える。その答えに母は驚く。
多分、こう思ったのだ。ウェンディとスポックは同じだ。だから、彼女はスポック博士やスター・トレックに傾倒するのかと気が付いたのではないだろうか。
フィクションを愛する心
だから、フィクションを愛することで、自分の精神をメインテナンスも出来るのだということを言いたかったのではないだろうか?そんなテーマがこの映画の裏側にありそうだ。
京アニを愛する人達と同じ。彼女はフィクションを愛し、そのフィクションの脚本を書くことで、夢を追い続けられるのだ。それが、500ページの夢の束なんだろうね。
人間、仮に、虚構の世界でも、そこに夢を見出せば向上があるのではと。映画好きな人には嬉しい映画作品のような気がします。
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