放浪と旅と焚火
放浪を不良中年オヤジの基本だと嵐山光三郎は宣う。
旅と温泉と飲み食いに時間を割けと言う。そこに、自由と男の再生化があるはずだと。
焚き火大好きの俺は、全く全面賛成だ。旅をすることで、新しい自分を発見する。
孤独の中で、自分に自問自答する。
そこにあるのは、自分という大きな海原だ。誰も、そこには入れない。
管理や軛から逃れた素の自分がいる。
誰からも、どこからも、自由だ。放浪、それは、自分の原点に還ること。
松尾芭蕉と放浪
👍️いいね。古来、多くの有名人が放浪をした。少し、紹介しよう。
嵐山光三郎は、放浪こそ、男の特権。放浪する男は不良であると断言する。不良でなければ、放浪なんてできないと。
不良中年オヤジの放浪の理想的なオヤジが、松尾芭蕉だ。奥の細道だ。かなりのワルだった。
この芭蕉を真似たのが、与謝野蕪村と小林一茶。放浪し、句を詠む。
そして、つい最近では、種田山頭火がいる。どの男たちも良い句を書く。
それは放浪しているからだ。嵐山光三郎の本に、「奥の細道 温泉紀行」というのがある。
時間が空いたら、この本を片手に持って、悪党芭蕉という修羅の足取りを辿り、温泉につかるという至福の時を過ごしてみたら、どうだろうか?自分の中の何かがめくれるぞ、きっと。
西行
しかし、本当のところは、西行やゴーギャンこそが、放浪の天才かもしれない。彼らの生き様を書いてある本や映画が中年のバイブルかもしれないね。
この西行という放浪歌人を嵐山は不良だと言う。不良は健全な社会秩序に従わず、意の向くまま、好き勝手に生きる。西行も同じ。
西行は当時、天皇の北面の武士でもあり、エリートの歌人でもあった(ちなみに、平清盛とは同期なのだ、驚き)が、それをあっさりと捨てて、放浪する。
かなりの武闘派の肉体派であったのに、孤独感に満ちたセンシティブな歌を沢山作った。
かなり、アンビバレントな二面性を持った男なのだ。そんな男が放浪する。カッコイイではないか。
西行については、嵐山もかなり書いている。一度、そういう観点で、読んでみたら、どうだろうか?
西行については、他の作家も多くを書いている。極めて、ミステリアスで、魅力的なのだ。西行を深めるのも、かなり、面白いかもしれない。
ゴーギャン
そして、ゴーギャン。言わずと知れた、有名画家。
ゴーギャンは証券取引所に勤めていた堅実なサラリーマンだったが、突然画家になると34歳の時に言い出した。
家族を捨て、国内で絵を描くが、絵は全く売れず、意を決して、タヒチに渡った。そこで名作を多く描くが最後まで貧乏で、55歳で梅毒で死んだ。
しかし、自然に囲まれ、自分のの望む絵を描き、愛する女性と出会う。幸せだったのだ。名声と財を得ることを知らなくても。
そう、彼は20年間、絵描きとして放浪して、人間としては充実した時間を過ごしたのだ。要は、自分の心の問題。そのために、放浪があった。
ちなみに、ポール・ゴーギャンのことを知りたければ、ヴァンサン・カッセル主演のフランス映画「ゴーギャン タヒチ、楽園の島」を是非観ると良い。伝記映画のようになっており、ポール・ゴーギャンのタヒチ滞在時代の麗しき自然美と恋愛が描かれた結構面白い作品だ。妻子と別れた後の放浪。こんな生き方が出来たのである。本当の不良中年は。
嵐山光三郎の旅と放浪
嵐山光三郎は放浪長じて、旅行と温泉紀行のエッセイシストでもある。
嵐山のような旅行をしてみたいものです。
それに、旅先で焚火も是非したいものだな。それって、自由と放浪の感じがしませんか?
とにかくだ。かわいい自分に旅を与えて、自由気ままに、ぶらりぶらりと不良中年オヤジを実践してほしいものだ。
そうですよ、ぶらり旅。そこには、ちょっとした放浪がありますよ。
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