ハードボイルドな人
ハードボイルドとは何か?と改まって、自分に問いかけなどしても、意味がないことだけど。
僕のブログの根底には、常に、このハードボイルドってヤツが横たわっている。
それは、時として、クールで冷たくてニヒルな男であることもあるし、寡黙だが心の中は温かい女子高生だったりもする。どんな局面にでもいる人を指している感じがある。
とっつきにくくて、でも、凛としてて、周りの誰もに相手されなくても、自分を失っていないような人。群れなくて。
そんな人を見つけると、僕は、とても、心がほっこりする。
そうなんだよ、ここに、こんな凄い人を発見したんだよ、って。見せかけではない、本当に、強い人。
でも、それに気づく人はそんなに多くなくて、誰よりも先に自分が発見出来たら、とても、嬉しくなってしまうような人。
それが、僕にとって、1つめの一番大事なハードボイルドの定義なんだな。多分。
藤沢周平や佐伯泰英の武士小説を読んでいくと、その主人公達が、江戸時代の日本の武士なのに、ハードボイルドを感じてしまう。
自分が好きなハードボイルドの現代小説と完全に区分けして、時代小説が好きとしていたのだけれど。
実は、主人公がハードボイルドそのものだったのだ。迂闊にも、つい最近まで、僕はそのことに気づかなかったのだ。何たる、愚弄。
なので、多分、藤沢周平も佐伯泰英も、きっと、生き方は、ハードボイルドであったに違いない。
自分のルールさえあれば良い
ハードボイルドの心については、ハードボイルドな人との重複関係にあるけれど、それは、メンドクサイほど、色々あるな。考えてみたら。
コトバンクでは、ハードボイルドについて、次のように言う。
ハードボイルドのヒーローは、誰の助力も借りずに、己の名誉をかけた掟を守って、タフに生き延びていく。都市に棲息する独身者として、日常生活の細部には徹底してこだわる。現実主義者で皮肉屋でありながら、捜査対象にはしばしば感情的に巻き込まれる。時には犯罪捜査のみならず、判決を、処刑を下す役を買って出ることもある。ハードボイルドの物語構造は、騎士物語と同じく、探求と発見から成っている。
Wikipediaでは、次のように言う。
「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。推理小説のジャンルであるが、サスペンスや文学など他のジャンルの主人公をハードボイルド風の文体で描く作品もある。アーネスト・ヘミングウェイの作品は主に文学に分類されている。行動的な探偵が主人公であるが、ハードボイルドとは対照的に非情さを前面に出さず、穏健で道徳的な作品は「ソフトボイルド(Soft Boiled)」と呼ばれる。
どうも、ハードボイルドとは、現実的で、タフで、情に流されないようだ。そして、妥協もなく、精神的に強い。
だから、相手の社会的地位など、ハードボイルドの彼には関係ない。
そう、原尞の渡辺探偵事務所の沢崎が、その典型だ。
そこには、相手に対する忖度など、最初から、ない。
ただ、相手が信頼できる人間か否か、だけなのである。それを判断するのも、彼の嗅覚だけなのだ。生きていく人間のあるべき姿の善悪の彼から見た基準だけなのだ。
そこには、社会の見方や政治的な何かとか、全く関係ない。
自分だけの自分が信じられるだけの矜持というルールさえ、あれば良いのだ。
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