映画を観て、良かったということは何だろう。少しずつ整理しないといけないね。
そこで、まずは、自分の映画鑑賞ルーツを振り返ってみる。
有名な歴史的なヤクザの親分のいる街に生まれ育った。海が近く、歴史的な松原があり、サッカーが盛んだった。
直ぐ近くにある市役所は有名な建築家が作った全面ガラス張りの建物だった。
2歳くらいの時から、母の実家のある巴町の表通りにあるオリオン座の大きなスクリーンで、ヨーロッパの戦争映画を中心に大人の映画を隣でよく見ていた。
自分一人で映画を見に行く小学校高学年(何故か、映画館のもぎりのおばちゃんが入れてくれたのだ)までは、よく父と伯父さんに連れられてオリオン座に連れて行ってもらっていたのだ。
そう、当時の映画のキャッチフレーズは確か、シネマスコープとか超天然色とかだったような気がする。
夏休みになると、他の子供同様に、怪獣映画やアニメ映画には母親や伯母さんに連れて行ったもらった。
それでも、どちらかというと、父親等に連れていってもらった大人の映画の方がが小さい時は好きだった感じがする。
特に、父親が圧倒的に好きだったクレイジーキャッツの植木等主演の映画「無責任男」シリーズはかなり見た気がする。
多分、大まかなバックボーンの会社生活等はきっとわかっていなかったと思うけど、周りの人と一緒に面白いところでは笑っていた感じがある。
無責任男シリーズで確かに植木等はお調子者でスイスイ自由にいい加減に生きているように見えるけど、最後にこの主人公植木等はナカナカの解決をして、それはそれなりに責任感があったのだ。
この矛盾が好きだったのかな、当時の小さい俺は。主人公の名前は「平 等」だ。
そうだ、ラジオのTOKYO FMの安部礼司と同じ、平均的サラリーマンを指すのだ。
このいい加減男のサラリーマン出世人生映画。
戦争映画の大スペクタルや大魔神やゴジラやギャオスの怪獣系映画に比しても、面白い邦画だった。
そして、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」に出会うのだ。
この映画は当時メジャーではなかったので、大きなオリオン座ではなく、ゲームセンターに併設された小シアターで上映されていた。難しくて、良く判らなかった。
しかし、モノリスと宇宙に至るまでの歴史の連続映像は覚えている。
そして、いつの間にか、「小さい恋のメロディ」やフランス映画「フレンズ」がヒットし、その後、ブルース・リーが世間をひっくり返す。
そう、映画の全盛時代がやってきたのだ。俺は、中学生になろうとしていた。
当然、ヒット作は全部観ているが、時間があれば、隣町の大きな幾つかの映画館に行き、「時計仕掛けのオレンジ」や「ボッカチオ」や「パピヨン」とかを観ていた。
また、映画雑誌スクリーンは必読していた。この頃の映画あたりから、多分思春期になったのだろう。
恋愛ものを隠れて観に行った記憶がある。
特に、印象のある恋愛もの系映画は、やはり、ジャックリーン・ビセットが出演していた「さらば青春の日」だろう。
この女優は自分には、美し過ぎた。そして、年上の女役である。キュンキュンした記憶がある。恥ずかしながら。
そして、それから、上京して、松田優作や数々の洋画に出会うのはもう少し先だったのである。
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