有村架純:フォルトゥナの瞳

女優

幼い頃に家族を火事で失い天涯孤独の身となった木山慎一郎は友人も恋人もなく、自動車塗装工として黙々と働くだけの日々を送っていた。だが突然「他人の死の運命」を視る力を手に入れ、生活は一変する。はじめて女性と愛し合うことを知った慎一郎の「死の迫る人を救いたい」という思いは、無情にも彼を窮地へと追いやり…。生死を賭けた衝撃のラストに心震える、愛と運命の物語。

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タイムパラッドクス系映画なのか?

ただし、記事的には、今までの流れのタイムパラドックス系のようなテーマであるので、引き続き、そのところは押さえておこうと思い、この映画の話となったのです。

加えて、近時の映画を観る基準が意思決定や選択というところにも集中しているので、そのあたりも意識しての視聴でありました。

フォルトゥナの瞳の映画化

百田尚樹の小説「フォルトゥナの瞳」の映画化。

フォルトゥナの瞳とは、ローマ神話に出てくる運命の女神のことらしい。

そして、この映画のモチーフは人の死を予知できるということ。

死が近づく人の姿が透けてみえるという瞳を持った主人公神木隆之介の話。

結果、恋人になる有村架純の話でもあるのだけれど。

意思決定の重要性

この映画の中で、私が一番興味を持ったところは言うまでもなく、意思決定のところであります。

そう、選択という話のところ。

人生は選択の連続である。

人は1日に9000回は選択をするというところだ。

その選択をするということで、人の運命は変わっていく。

そこにこの映画及び小説はフォーカスをした。

確かに、この選択の連鎖的集合体が運命ではあるが、そこへの自分の関与の姿勢というのが、この映画のキイポイント。

今回の意思決定系映画の行き着くところ

今まで、「バッド・ディシジョン」から「イノセント・デイズ」、「9月の恋と出会うまで」という意思決定(選択)系映画を3つ続けて観てきた。

そこにあった意思決定(選択)の流れは、悪しき選択➡選択をしないという選択➡主体的に選択するというものであった。

この映画では、主人公神木隆之介 は飛行機事故で生き残って以降長い間、極力選択をしないことで孤独の中で生きてきた。

しかし、有村架純に出会い、大事な人を生かすために主体的に選択判断をしていくという話になる。

自分で決める選択の向こうに見える運命とは・・・ということになる。

自分で主体的に選択をすると、どうなるのかという話でもある。未来予知的寓話としても。

私的には、人生の選択ということがいかに大事であるかということと主体的に自分で流れていく方向を決めることの重要さを教えてくれたような気がします。

運命は神の領域なのか?

このある意味ファンタジー的恋愛映画は、死ぬ人間を予知出来ると言う人間の恋愛ものであり、映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」とリンキングするものである。

「ぼく明日」では二人が時間を逆に進行していくというタイムパラドックスだったが、フォルトゥナの瞳では、未来予知と二人の関係ということになる。

最後まで観れば、やはり、そういうことかとこの恋愛の成就できない理由がわかります。

それでも、この映画は、神木隆之介と有村架純のカップルだからこそ、短い期間とはいえ、幸せがあった。

ちなみに、私的には、やはりフォルトゥナの瞳を持つ医者役で出演していた俳優「北村有起哉」が気になりましたね。

この人、結構、脇役的な俳優として多くの映画やテレビに出ているけど、いい演技していました。

運命は神の領域だ。自分が運命を変えた人の人生全てを背負うことが出来るのか。

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