なのに何故か、勝手に、詩が、不思議と、入ってくる。自分の中に。横浜流星の綺麗な顔の構造と横浜流星の繊細な感じと内に秘めた強さと鍛え上げられている肉体が、詩人の詩を生かすことが出来る。そう、既に絵と言っても良いような肖像画たるスナップ写真や画像が詩になる男、横浜流星。そして、映画での彼自身が詩に繋がる。詩っていう世界に、こんな感じで入っていく方法も、多分、あり、だよね。今回は、谷川俊太郎。
あのひとが来て
優しく柔和な顔や立ち姿とは裏腹に、独りになり静かにいることがとても自然に感じさせる男。横浜流星。存在自体がハードボイルドなのか。孤独が絵になる男。
谷川俊太郎の『あのひとが来て』という詩。あのひとに彼は似合っている。どこか儚いところもあって、独りでいることがいつもだけど、逢えるときが少しはあって、そういう時は少しだけ幸せになれるし生きていられる・・・という感じでしょうか。
あのひとが来て
長くて短い夢のような一日が始まった
あのひとの手に触れて
あのひとの頬に触れて
あのひとの目をのぞきこんで
あのひとの胸に手を置いた
そのあとのことは覚えていない
外は雨で一本の木が濡れそぼって立っていた
あの木は私たちより長生きする
そう思ったら突然いま自分がどんなに幸せか分かった
あのひとはいつかいなくなる
私も私の大切な友人たちもいつかいなくなる
でもあの木はいなくならない
木の下の石ころも土もいなくならない
夜になって雨が上がり星が瞬き始めた
時間は永遠の娘 歓びは哀しみの息子
あのひとのかたわらでいつまでも終わらない音楽を聞いた
これが私の優しさです
横浜流星の映画で、悲恋ものがあった。『愛唄-約束のナクヒトー』だ。横浜流星と今NHKの朝ドラ主役の清原果耶が主演していたものだ。
そのストーリーとは関係ないかもしれないが、生と死を考えることは、谷川俊太郎の次の詩を思い出させる。『これが私の優しさです』
窓の外の若葉について考えていいですか
その向こうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなってもいいですか
あなたのおかげで
生きる②
そして、あの映画、『きみの瞳が問いかけている』。そこにあるのは、生きていることへの証。谷川俊太郎の『生きる②』をインスパイアさせてくれる。横浜流星の鍛え上げられた肉体と優しい心が、今を生きていくことの意味を教えてくれる。問いかけろ、自分が今を一生懸命に生きているか。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
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