5と津田伸一と佐藤正午

佐藤正午

この歳になって、佐藤正午を改めて読み返して、改めて、その面白さと凄さに驚くとは、何とも言えないくらいに、ビックリなのだ。歳を取るってのは、余り意味のないことであると思っていたが、そうでもないらしい。

最後に、こういうカタチで終わらせるけど、津田伸一は、やはり、小説家であるように、面倒くさく奮っているな。

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スープは冷める

津田伸一の小説に『スープ』があるようだ。「冷めないスープはない」という真理。スープも人の感情もいずれ冷めてしまうという心理。その真理は覆るのか?

それにしても、女達が津田伸一の周りに沢山出てくる。中真知子、長谷まり、石橋、でべそ、柴河小百合、郡山美景=サクラバ、ロコモコ、瓜実顔=シイバ。別れた二人の妻。この女性達は全て、津田伸一の言うところの「冷めないスープはない」愛のカタチの姿なのだろうか?

どこの誰であろうと、どんな状況であろうと、どんな時代であろうとどんな時代が訪れようと、他にいっさい信念などなくともこの一文だけは、これまで僕が生きてきた証しとしてそう言い切るだろう。かならず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶのだ。

出典:5 P.669

「憶えてるよ」僕は正気を取り戻した。「スープも人の感情もいずれ冷めてしまうという一行だね」「本気で書いたんでしょう?」「本気だよ」「必ず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶ」「真理だ」「その真理がくつがえるんです」。洗練された筆致と息をつかせぬリーダビリティで綴られる、交錯した人間模様。愛の真理と幻想を描いた、大傑作長編。

未来の過去を見る

近頃の流行りものと言えば、何なんだろうねと考えてみたら、どうも、このタイムリープや予知能力や時間の逆光とか、この辺りがそうでなかろうか。

津田伸一は、石橋との手の交わりによって、未来を思い出せるようになったのだ。まだ会ったことのない人のことを覚えている。漱石が言ったように、運命は丸い池を作る。自分の未来を記憶しているのだ。

この未来を記憶するって辺りに、この小説のもう1つのファンタジーであるような現実であるような未来を予知するような面白さがあるのである。

必ず移ろうもののことを季節と呼び人の心と呼ぶ

「必ず消えるもののことを虹と呼び人の記憶と呼ぶ」と書くように、佐藤正午は、津田伸一に、「必ず移ろうもののことを季節と呼び人の心と呼ぶ」と述べさせる。とても、リリカルなのである。皮肉っぽくて面倒くさくて、女性にだらしなく、いい加減なくせに、憎めないところもあり、適当な物言いをしているのに、作家だからか言葉に対する指摘は鋭く、ほえ?となってしまうこの男の読んでいて腹が立ってくるくらいの憎らしさが病みつきになってくる俺は、どこかオカシイのだろうか?ほえ?

ギブ・ミー・ファイブ

何故、この小説の題名が『5』なのかは、一言で言えば、Give me 5なのである。ハイタッチを意味する言葉からなのである。石橋の手と中志郎と津田伸一のそれぞれの手が重なり合うことを指して、Give me 5。5なのであるよ。

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