映画やドラマや小説や漫画でも、結構面白いものには、どんな主人公にも相棒がつきものであるような気がする。そしてもって、人生においても、相棒君は心の拠り所になるように、とても、得難い有難い存在である。
相棒は、別に、人でなくたって、良い。信頼関係ってのは、どんなヤツとの間でも成り立つ。信じ切られる相手だ。どこまでも、無限に、忠実に、心の奥底で、信じ切っている。それは、友情を超えた無垢なる存在なのである。
そう言えば、あの名作である『レオン』でも、殺し屋レオンの束の間の相棒は、あのマチルダだったな。孤独と孤独が繋がった世界。そして、親子ほど離れた相棒との切なすぎるほどの愛情。無口でも言葉を交わさなくても、そこには温かさが溢れている。短い、ほんの短い時の中であってさえも。相棒が死んだとしても、多分、彼女の心の中には、永遠に残る存在である。
それは、スヌーピーとウッドストックの間にも、相棒の絆が成立するのだ。
日本では、ドラマの『相棒』がいつの間にか人気定着で、永遠に続いている。相棒という世界の今やトップとも言えるのか?
大体にして、刑事ドラマっていうと、ヤッパリ、相棒によって、その面白さが引き立ってくるな。そうなのだ。所謂、バディってヤツだね。
昔は、メル・ギブソンの映画『リーサル・ウェポン』辺りから刑事バディものが流行って、ジャッキー・チェンの『ラッシュアワー』シリーズやウィル・スミスの『バッドボーイズ』シリーズがあったりするし、日本では、舘ひろしと柴田恭兵の『危ない刑事』があったね。昔の人気の出た刑事バディものは、殆どが、ふたりの友情と口ケンカが特徴的だったね。それがあれば、笑えたし、ヒットした。
そのような刑事バディものの中で、今までの流れとは違うのが、水谷豊主演のこのドラマ『相棒』なんだろうね。友情っていうよりも、信頼っていうか、メンドクサイんだけれど、どこの誰よりも真実に辿り着いていく杉下右京の感性と論理と正義感に、どこか一部反発もありながらも学び共感していくっていうのがバディの在り方なのかな?このドラマでの相棒の意味は?
この極めて個性的な水谷豊の杉下右京とコンビを組む相棒が今回辞める反町隆史まで、22年間で、なんと4代目になる。次の5代目は誰になるのかは今もシークレットだけれど、反町隆史と来たのなら、竹野内豊でどうだろうかね?
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