『めぞん一刻』のストーリーの底流に常に流れているのは、人の心の優しさ・温かさである。そして、それは、主人公達である響子さんや五代君だけでなく、取り巻く人々全ての色々な個性の向こう側に見えてくる。
響子さんの義父である亡くなった惣一郎さんのお父さんも、その一人である。
『めぞん一刻』はコメディ漫画であるが、結構、さりげなく、深いことを教えてくれる。「死と生」や「生きていく幸せ」の意味についても。惣一郎さんの義父と響子さんの関係性の中にも、教えられることは多い。
人は死んでも、その人を想い出す限り、その人は死んでいないということも出来る。忘れられていったら、その時が、その人と関係してきた人たちにとって、その人は本当に死んでしまうのかもしれない。
死した人の想い出すことも、時が経てば、少しずつ薄れていく。そうやって、残された人は、なんとか、前を向いていけるようになる。そういうように、人間の機能は出来上がっているとも言える。
忘れるってことの意味もあるのかもしれない。
響子さんにとって、忘れられない惣一郎さん。音無家の姓を通す響子さん。
惣一郎を忘れるようにしていきなさいと諭す義父さん。これからの人生を歩むうえで。死んだ人の近くで生きるのではなく、もっと幸せになれることがあると暗に示唆する義父さん。
それは、「惣一郎さんを忘れろってことなのですか?」と応える響子さん。
未亡人、まだ、死んでいない妻ってことだよね?
でも違うだろ?
死んでないのじゃない、生きているんだ。
「響子さん・・・これから、どうするつもりなんだ?」
「まだ、わかりません」
うんとしあわせになりなさい。今までの分もね・・・
あんたはこの日のために生まれてきたんだよ。
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