不良中年シリーズ②(嵐山光三郎ギャンブル編)

小説

中年オヤジの実態とは?

中年オヤジの実態を嵐山光三郎は具体化する。

①純情②ケチ③自信と不安④中古品である

⑤ズボラである⑥精力を持て余している

⑦生一本である⑧思い出に生きる⑨悪い

⑩ひがみっぽい⑪怒りっぽい

⑫あきらめが早い⑬下り坂⑭感動力に欠ける

⑮メイセキにしてドアホ

そうなのである。俺もかなりこの実態にあてはまる。だから、どうすれば良いのか、これからの人生をという話になる。

だから、不良中年オヤジを見習えと言う結論を提案してきた。

不良中年の条件

不良中年のあるべき姿が前回記載した二十の箴言だ。①なれぬことをするな~⑳孤立を怖れるな、までがある。

何度でも言うが、この男の言う不良の条件が面白い。

1.不良オヤジはギャンブル魂を飼いならせること。

2.不良オヤジは、老いては色欲に従う。

3.不良オヤジは、放浪する。

4.不良オヤジは先人の不良オヤジに学ぶべし。

不調中年オヤジにとってのギャンブル

ギャンブル魂を飼いならせよ

不良中年オヤジはギャンブル魂を飼いならせと彼は言う。

負けてこそ、ギャンブル。この極意を知ること。そして、ギャンブルは遊びと知る。

ギャンブルは人生の教科書と彼は言う。とにかく、雑誌の編集長をしていた頃から、会社でも外でも、博打と言う博打をした。賭け方も漢気だったようだ。そして、勝負事から、人生観を知る。

阿佐田哲也

阿佐田哲也のバクチで得たこと(最終の運についての一言)が「いい負けだ」と言えることであったことを知り、自分の当時の負けを超えられたと。

運はその人の中で結果、総体なのだと。人生全体で勝ちもあれば、負けもある。最後はプラマイゼロだと知る。

そして、このように、阿佐田哲也に学び、勝負の極意を知る。50歳を過ぎたら、競馬より競輪ともノタマウ。

競輪場で見かけたギャンブラーの故棋士芹沢博文を愛する。

そういえば、今の世界でも、新しい映画の麻雀放浪記(斎藤工主演)もあったし、パチンコ哲也もある。この台も結構面白い。

漫画原作だが、ぼうやと呼ばれたた阿佐田哲也の若い頃の生き様が創作されている。

こんな感じで、阿佐田哲也という博打の天才・雀聖と呼ばれた男の魂は我々から離れることなく、今も、流々と生きている。

不良中年オヤジの色恋

不良オヤジの色欲の大先輩は、文人に多くいることは前回述べた。文人は自分の心に従った愛欲に身を費やした人が如何に多かったかを嵐山光三郎は話す。そこにあるのは、オヤジになっても色恋を捨てないフェロモンの多い不良なのだ。

檀一夫

その中でも、特に俺が気になるのは、無頼派の檀一夫だ。

その彼の不良で真剣に女を愛した男を主人公にして自伝的に書いたのが、『火宅の人』だ。

この男も女に正直。いい女がいれば愛すればよい。惚れればよい。女を理解しようとしない。だから、逆に女は彼から離れない。モテの極意だ。やるねぇ。

そうだよな、焚火も女も海も、全て、放浪と自由の感じがするなぁ、正直。

不良中年オヤジの服

それから、嵐山は不良中年になるのなら、服にも気をつかえと言う反面、服に無頓着になれとも言う。

背広とネクタイを捨てろと。

嵐山は、会社を辞めた時に、ジーパンを買い、スニーカーを買い、野球帽を買った。競輪場に行き、そこにいる競輪の客が服のナリに構わないことに驚く。

そう、世間が自分たちをどう見るかなどはまるで気にしない。世間の常識から自由なのだ。その時、嵐山は、一歩不良に近づいた気がした。

服に無頓着な人間として、アインシュタインの話がある。彼はいつもヨレヨレの服を着ていた。お気に入りはとっくりセーターと開襟シャツで、靴下もはかなかった。

檀一夫はタダ同然の古着のオーバーを着て、ドタ靴を履いて、女にモテた。不良は流行なんぞに見向きもしないのだ 。

嵐山光三郎の旅行好きというか、放浪の勧めについては、次回の『不良中年シリーズ③(嵐山光三郎の場合)』(予定)で述べよう。

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