高倉健さんの考えない幸せとは?
多くを語らない幸せのところで、高倉健さんを中心に記事を書いた。そこには、昨今の何もしない無気力な姿勢とは正反対の寡黙と静かな佇まいがあったことをそれなりに記載したつもりだ。
語らず、目で話しかける高倉健さんは、何もしないのではなく、喋り闇雲に動く人を軽く凌駕する。
多くを語らず動かないその立ち姿に相手は息をのむ。
ということは、健さんのこれは、考えた上での行動なのか?自然に身に付いた考える前の行動か?
多分、考えるまでもなく、目に映り語られた現象が健さんの中で、瞬時に結論を出しているに違いない。
そして、黙り、目に力が入る。
考えなくても、物事を掴むことが出来ることができるのだろうか?そこから始まることがある感じがする。
そこに、実は、健さんにみる「考えることの実態」があり、心が透明な自然体で居られることの何かを見つけられる感じがする。
人間は考える。考えすぎて、逆に馬鹿になるとも言われる。
それは、どういうことか?あることを考え続けると、脳内に実は別の煩悩的な考えがたくさん湧き上がってきて、本来考えたかったことから、別のところにいってしまう。ここに、大きな問題がある。
そこで、高倉健さん的な、瞬時に考える必要性が生じる。
考え続けて脳内の考えオタクになってしまうと、良い判断と行動に至ることは、稀だ。
そこで、正しく考えると言うことはどういうことなのだろうか?
どうも今までの流れでいくと、どうやら、瞬時に考えることが出来る状態を作ることが何となく大事そうな感じがする。
考えすぎて、煩悩が出てくるような状況を排除すべし。考えが枝葉に分かれ無駄なエネルギーを使わないようにすべきではないか?
なんか、そんなことが「考える」において、大事だという仏教的なところというか禅的なところの行きそうな感じがあるな。
高倉健さんの考えるとは?
そんなこんなで、以下、問答集的にいきましょうか?何か、哲学的で、難しいもんね。禅問答にして、少しだけでも、分かりやすくしないとね。
「考えない練習」の僧侶小池龍之介さんの考えを一部借りています。参考までに、彼のこの本を是非読んでみて下さい。
ならば、更にそういう無駄なところにいかない「考え方」はどうするの?ってことになるよね。必要最低限なスッキリとした考え方はどうしたら、自分に身を着けることが出来るの?
次の3つを体得せよと仏教では言ってるよね。
1.自己ルールを作り、ブレない芯を作る。
2.集中力を養う。
3.気づく。
の、3つじゃよ。
自己ルールを作り、ブレない芯を作る?
それは、次のことを実践することで作られるのじゃよ。
1.思考内容を律す
2.言葉を律す
3.行動を律す
4.生き方を律す
それって、全く、健さんの生き方、そのものじゃないですか?
そうなんじゃよ。
実は、健さんを学べば、良いんじゃよ。
あの方のスタンスに、必要最低限の
研ぎ澄まされた考え方のエッセンスが
あるんじゃよ。
なんとなく分かるような感じもするけど。
それは、目・耳・鼻・舌・身の五感とは、
どう関係していくのですか?
目・耳・鼻・舌・身の五感と意を合わせた
六問を漫然と扱うのではなく、能動的に
おこなうことで、自分の感覚を能動的にし
ここを研ぎ澄ましていきさえすれば、
無駄のない考えに近づくのじゃ。
えない修業や考えない座禅や考えない自分をどう作り上げていくか、次は具体的な実践方法が決め手になるね。そこに関しての参考資料は下記のものかな。
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