ちょっとした想い
みんな、一人だけど一人ではない。どんなに大変なことがあろうと、皆で助け合えば、多分、どこかに行けると。
独りぼっちでは、人は決して、ないと。金子みすゞは言っている。
そして、それは明日に繋がり、笑みも、いつしかやって来ると。
だから、人はケンカもするし、仲直りもする。自分の周りの不思議なことにも目が届く。自分なりの気持ちや言葉を大事にしていきたいとも思ったりも、する。
そんな切ないことを、金子みすゞは、伝えたがっている。
なのに、何故、彼女は夭逝したのか。詩が美しく可愛いだけに、寂しさが募る。
足ぶみ
わらびみたよな雲が出て、
空には春が来ましたよ。
ひとりで青空みていたら、
ひとりで足ぶみしましたよ。
ひとりで足ぶみしていたら、
ひとりで笑えて来ましたよ。
ひとりで笑ってして居たら、
誰かが笑って来ましたよ。
からたち垣根が芽をふいて、
小径にも春が来ましたよ。
このみち
このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池のかえろよ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子よ、
このみちを行こうよ。
このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。
横浜流星の繊細な感じ。絵が詩になる男、横浜流星。美しさは罪でもあるが。
詩っていう世界に、こんな感じで入っていく方法も、多分、あり。
詩が、不思議と、入ってくる。自分の中に。それは本当にそうだと近頃感じる。
そして、新川和江。
純粋さというところで、横浜流星の少年のようなこころをフューチャーしたように思えてしまう詩達。無邪気に笑い裏も表もないその向こうにこそ、実は、人が喪ってはいけないものがあるような気がしませんか。
いっしょうけんめい泳いだら
いっしょうけんめい泳いだら
いつか 魚になれますか
尾ひれが生えて すいすいと
沖まで泳いで ゆけますか
いっしょうけんめい はばたいたら
いつか 小鳥に なれますか
つばさが生えて ゆうゆうと
広いお空が とべますか
いっしょうけんめい 背のびをしたら
いつか ポプラに なれますか
みどりの葉っぱを そよがせて
風とおはなし できますか
いっしょうけんめい 咲こうとしたら
いつか お花に なれますか
ひかりと水に 愛されて
わたしもきれいに さけますか
子どもが笑うと・・・
ちいさな子どもが
クスッと笑うと
草の実がぱちん!とはじけます
クスクスッと笑うと
木の葉がゆれて
ひかりが こぼれます
クスクスクスッと笑うと
もう誰だって
いっしょに笑わずにはいられない
朝の空気も 牛乳びんも
石段も 風も 遠くの海も
美的資料
基本的にはグッズ的なものは載せたくないが、美しいものはやはり歴史的に(?)残すべきものであることには間違いないので、一部を載せることにした。
一人だけど一人ではない私たち。皆で助け合い繋がり、独りぼっちではないと詩に込めた人がいた。どんなに大変なことがあったとしても、小さなことが笑みになり、明日に繋がり、多分、良き幸せな場所へと行けるに違いないと。そのこころ、横浜流星。彼の純真無垢に思える笑顔に救われた人は多いだろう。多分。
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