この歳になって、大好きな映画のことを振り返ってみると、判ってくることが結構あったりする。
俺が映画を観てきて好きだったのは、というか、映画の中で特にキュンキュンしたのは、実は、女性の「儚さ」だったのではないかと思えてきたりするのだ。
小さい時に映画館で観た映画のシーンで好きだったのは、この「儚さ」に行き着いてしまう感じがあったような気がする。
例えば、松田優作の『野獣死すべし』の中での小林麻美の存在自体が「儚げ」だったのだ。
実際に、映画『野獣死すべし』の中で、小林麻美は松田優作に撃たれてあっけなくも儚く死んでしまうのだけれど。その時の彼女の表情の美しさがかなりキュンとしたのであったよ。生とは儚いものと言いたいのか、貴方のことが好きだったのにとも言いたいのか。美とは、この脆さにあるのだろうかと思ってしまうのであったな。
映画における女性の美っていうのは、多分に、この物悲しいような壊れてしまいそうな「儚さ」にあるような気がしてくるのであった。
更に考えてみると、松田優作も、『野獣死すべし』においては、最初から、その存在が実はかなりの「儚さ」を含んでいるのである。
まあ、この映画のモチーフが結局は、アクション映画にして生から死に向かうってところにあるのだから当然のことであるのだが、やはり、優作は死に向かってどこか儚いところが絵になる男なのである。
それは、最後のハリウッド映画「ブラック・レイン」でも、相通じるところであった感じがする。松田優作の鬼気迫る悪役演技が超絶だったが、その力強さの向こう側に、実際に迫りくる自身の死に向かう「儚さ」が垣間見れて、何とも言えない切ない気持ちになるが、そこにあるのは、やはり、松田優作の「美」であるとしか言いようがないのであった。
映画における魅力の一つに、やはり、「儚さ」と「切なさ」がある。その映画の中に現れてくる登場人物の何とも言えない「儚さ」・「切なさ」なるものが出現した時に、その映画は何故か観る人を惹きつけるような感じがする。
若いときには判らなかったけど、どうも、その切ない感じがその映画の魅力をさらに際立たせてくれる感じがするようだ。
コメディ映画だろうが、恋愛映画だろうが、エチな映画だろうが、アクション映画だろうが、多分、名作とカテゴリーに入っていく映画は、多分に、この「切ない」感じ=「儚さ」がどこかに仕掛けられている感じがしている。
そう言えば、昔流行ったフランス映画の「エマニエル婦人」も、多分エチな部分だけでなく、女優シルビア・クリステルの「儚さ」があったからこそ、大ヒットしたのではなかろうか、とも思えてくるのであった。
これから、映画を、この「儚さ」や「切なさ」も一つの視点として、観ることで、映画を更に楽しめる感じがする。
上手い映画を創る監督には、この「儚さ」や「切なさ」を上手に表現できるに違いない。そして、使う俳優がこの「儚さ」や「切なさ」を自然と体現できる人間であることが大事なような気がする。
コメント